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■突然訪れたスタメンの機会
1年近く待ち続けたその瞬間は突然やってきた。
12月21日、セルティックの水野晃樹はフォルカーク戦で初めて先発メンバーとしてピッチに立った。
2008年1月のセルティック移籍後、リザーブリーグでのプレーが続いた。
今季、11月8日のマザーウェル戦で交代出場でデビューを果たしたが、その後も先発はなく、グループリーグ敗退決定後のチャンピオンズリーグでも出番はなかった。
つかみかけたチャンスが、再び離れていっているようにも感じていた。
試合当日、グラスゴー近郊のフォルカークには強い風が吹いていた。
ウォームアップのために体を動かしていた時、水野はコーチのギャリーに呼ばれて何かを言われた。
「今日は両サイド……日本人が……」
とても英語とは呼べないグラスゴー独特の方言に、すべてを聞き取ることはできなかった。
しかしそれから間もなく、水野は自らが先発メンバーに入ったことを知る。
試合前のロッカールーム。ストラカン監督はホワイトボードに先発する選手の名前を1人1人書いていく。
その日のボードにも、いつも通りの選手名が書かれていった。いつもの4−4−2。
いつもの選手たち。GKボルツ、DFヒンケル、ローフェンス……。当然のように中村俊輔の名前も書かれた。
やがて指揮官のペンは中盤左サイドへと移り、ふいに「コーキ」と、自分の名前がボードに書かれた。
「驚いたよ。スタメンはいきなりロッカールームで言われたから……。緊張しないように、これはリザーブリーグだと思って試合に入った」
■中村と水野の描いたゴールシーン
ポジションは4−4−2の左サイドハーフ。
チームメートとは練習でこそ毎日一緒にボールを蹴っているが、公式戦、しかも先発としてプレーするのは初めてのこと。
水野にボールは集まらず、前半は半ば消えかけていた。
何度かボールタッチしたが、持ち味のスピードとドリブルで勝負する場面はなかった。
前半が終わるころ、水野は「これはすぐに交代だな」と感じていたという。反対サイドから眺めていた中村もまた、同じように思っていた。
「前半は消えるシーンもあった。コーキにはサイドに開いて待ってろと言ったけど、なかなか生かせなかった」
しかし、ストラカンは後半も水野を起用し続け、結果的にそれが実ることとなる。
1−0で迎えた後半45分、水野は左サイドから中へ走る動きでパスを呼び込み、DFをスピードで振り切ると、GKを前にして冷静にボールをゴールに押し込んだ。
「俊さんからのパスで点を決めたい」。それは試合前に水野が願った、中村からのパスだった。
ハーフタイムに中村は水野にこう伝えていた。
「俺がボールを持って前を見たら、とりあえず裏のスペースへ動き出せ」。
得点は2人が描いたとおりの展開だった。右サイドでボールを持ち、中央へと入っていった中村が、前線のスペースへ走り込む水野へ――。
「俊さんがボールを追った瞬間に動き出そうというのがずっと頭にあった」という水野と中村の連係が、見事にはまったシーンだった。
■監督、コーチ、チームメートと分かち合った初ゴール
ベンチのストラカン監督とレノンコーチは得点が決まった瞬間、子供のようにはしゃぎながらあたりを飛び回った。
ゴールマウスにいたGKボルツは猛ダッシュで水野のもとへと駆けた。
過度のパフォーマンスと判断されたのか、得点後に水野は主審から警告を受けた。
しかしそんなことよりも、チームメート全員が自分のもとへ駆け寄ってくれたことがうれしかった。
「アーター(ボルツ)まで自分のところへ来てくれた。あれが一番うれしかった。
最初はゴール裏へ行ってから、俊さんのところへ行こうと思ってたけど、全然かき分けられなかった」
アウエーに駆けつけたセルティックファンは、試合が終わってからもサポーターソングに合わせ、「コーキー・ミズーノ!」と連呼していた。
「いいパス、ありがとうございます」。水野はパスをくれた中村にこう伝えたという。
ストラカンは試合後、「日本人は2人とも素晴らしかった。試合が進むにつれて、コーキはよくなると思っていた。
あいつには信じられないスタミナがあるから。
彼がサイドにいることでピッチを広く使うことができた」と、フル出場させた理由を説明している。
初先発で初得点、ついでに初の警告までもらった。
翌日のスコットランド地元紙は水野一色。チームメート、中村、ボルツと抱き合う姿が紙面を飾った。
タブロイド紙『ザ・サン』は“Asian McGeady(アジアのマクギディ)”とのタイトルをつけ、ストラカンと衝突してチームから外されているアイルランドのウインガー、マクギディの不在を感じさせなかった、としている。
■生き残りを懸けた戦いへ
今年2月にチームに合流してから11カ月目で出した結果。しかし本人はすでにその先を見ている。
「後半だけじゃなく、90分間いいプレーをしたい。今後、負傷者が戻ってきたときに、どう生き残っていくか。2009年の目標は自分の居場所を確実にすること」
2008年は水野とって激動の1年だった。
1月のセルティック移籍。リザーブリーグでプレーする日々。
3月には荒れたピッチに足を滑らせて足首を痛めた。負傷を引きずりながら挑んだ5月のトゥーロン国際大会。
満足のいくパフォーマンスができず、「目標」としていた北京五輪メンバーから落選する。
そして、今季開幕前の右ひざの手術――。いつも傍らにいたコーチのレノンに励まされながら、リハビリや居残り練習をこなしていった。
苦難の1年の中で最後につかんだチャンス。フォルカーク戦後、レノンはピッチに駆け寄り水野を引き寄せると、強く抱きしめた。
スポーツナビより転載
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0809/scotland/text/200812240003-spnavi.html
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